2006年11月10日

教育現場への私見

御堂筋にも数日前、木枯し一号が吹き、公孫樹並木から黄緑の葉が歩道に舞い、銀杏の熟した実が乱れ落ちて特有の異臭が漂っています。
朝夕は冷え込む様になったとは云え、葉の色付きは今だ緑が勝っており、黄色く色付いているのはチラホラです。
さて、今頃「いじめ」「高校の未履修」「教師の問題」と学校教育の有り方が噴出していますが、こんな事は、今に始まった事では有りません。

「いじめ」これは人類が社会生活を営む様になってから連綿と行なわれて来た事です。
子供社会で有ろうが、実社会で有ろうが、人間が集まれば起る事です。
”出る杭は打たれる”こんな諺が成り立つのもむべなるかなです。
しかし大人は云います。
「他人と違う事を為せ。ユニークでなければならぬ。」
そんな大人の云う事を忠実に聞いていたら、たちまち「いじめ」に遭うのです。
大人だって解るでしょう。 自分が特異であれば、周りから浮いてしまうのが。
生きると云う事は、こんな辛い事を包含しているのは事実です。
しかし人は何故、生きれるのか?
それは、いじめ等の辛さを打ち消して除り有る、もっともっと楽しい事が待ち受けているからですよ。

「高校の未履修」の問題は、これも昔から有った様な気がします。
自分に置き変えても、美術や音楽の科目は無かった様に記憶していますし、世界史、日本史、地理。生物、化学、地学等、何を履修したか憶えていません。
三年生になれば、授業は殆ど無く、自習ばかりだった様な気がします。
されど、必修科目と云うものは、勝手に決め付けた制度の問題でしょう。
それが、70時間足りないとか、100時間足りないとかは問題じゃなく、大学予備校に成っている制度が問題なのです。

「教師の問題」
これは、自分の経験から、尊敬できる、或いは為に成る先生というものは、居なかったと云う事です。
戦後、一時期、「でもしか先生」と云う言葉が流行りました。
先生にでも成るか、先生しか成れないと云う当時の落ちこぼれが、教師に成ったのですから、押して知るべしです。
そういう教師が、今、校長・教頭等の管理職をして、喰いぱぐれの無いという理由で教師になったサラリーマンに期待しても無理です。
坂口安吾は「親が有っても子は育つ」と云いました。
教師が居ても勉強は出来るのです。 学校は兎も角、勉学する場所です。
小学六年間、中学三年間、高校三年間、教師はどうであれ、ひたすら好きな科目を見つけて勉強すれば良いのです。
教師に期待などしない方が良いのです。
posted by 津々浦々 at 16:03| Comment(32) | TrackBack(8) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月03日

安見子 得たり

ようやく秋らしくなった御堂筋でおますが、銀杏並木はまだまだ青々としておます。
さて皆さん、以前にもチョコッとイントロデュースしたとおますが、ここに、やすみ りえという女流川柳作家がおりまっせ。
十七文字で表現する俳句には、季語がおますが、川柳には季語が無く、風刺やユーモアをペーストとしたものですなぁ。
短歌に対しての、落首とか、狂歌の様なものでっしゃろか。
そんな川柳に、女性としは珍しい作家がおます。
彼女は、関西で活躍していたのですが、最近、何の心境の変化か、東京ヘ仕事の場を移しよりました。
変わりに、東京より、新人女流浪曲師、何と、東大卒だそうですが、そのお方が、大阪へやって来よりました。
これ、何か因果関係がおますのやろか。
ありまへんやろなぁ。
りえちゃんは、早速、NHK・ETVで書道教室の進行として、笑顔を振り撒いているやおまへんか。
抜群のスタイルと、透き通った色白で、一際、光彩を放っている様子を視聴した方も多いか少ないかおますやろ。
やすみ りえと聞いて、連想するのは、安見子」でんなぁ。
安見子は、人ぞ知る、絶世の美女でんなぁ。
大化の改新を主導した、忠臣鎌足が、その功績により、藤原の姓と共に、天智天皇より賜った、天皇の最寵愛の妃の一人が、安見子だっせ。
その安見子を賜った鎌足は、――我は 安見子 得たり 臣の本望 これに如かず――
とて、皆に自慢して、はしゃぎ回ったとさ。
天智天皇は、安見子を手放したく無かったが、功第一の鎌足のたっての所望には、その願いを聞き入れてやるしか無かったんですな。
天皇と鎌足の強い絆が偲ばれる話でっせ。
それから連想して、やすみ りえちゃんは、どうでしょう。
あの子はだあれ、だれでしょね。と行きますかどうか。
その作品集には、ロマンチックな星と、愛らしい苺が散り嵌められておますが、NHK・ETV月曜日・趣味悠々をご参照 チャン、チャン。

かな文字に 流れを誘う やすみりえ

   追伸
大手マスコミの一部は、内閣が変わったり、政変が起る度に、田中真紀子のコメントをいちいち電波に乗せるな!
見苦しくて、極言すれば、醜悪であります。


posted by 津々浦々 at 17:32| Comment(9) | TrackBack(1) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月05日

安倍晋三と近衛文麿

9月20日の自民党の総裁選に向けて、本命と目される安倍晋三が、満を持して立候補を表明した。
麻生外相や谷垣財務相等が先立つ中で選挙の前からマスコミ主導で、安倍、安倍、安倍と喧しい。
国民も、それに呼応するかの様に、安部待望論に流されている。
歴史を翻るに、このシングル・イシューは、何処かあの時代を想起させる。
そう、あれは昭和12年(1937年)と15年の二度に渡って組閣した、近衛文麿の時代だ。
近衛は、明治維新の王政復古により蘇った、公家・五摂家の筆頭の当主であり、首相に推された時は、四十代半ばの若さであった。
当時の新聞を中心としたマスコミは、挙って、近衛待望論を囃し立てたものだ。
今亦、大マスコミは、相変わらず同じ徹を踏んでいる。
近衛の当時も、「バスに乗り遅れるな。」との、言葉が流行ったが、いま又、自民党所属の国会議員達は、雪崩をうって、安倍へ靡いている。
日本人の常として、古代の昔より、家柄の良さを畏怖し、毛並みの良さに、ほぼ無条件で平伏してきた経緯がある。
近衛が明治維新で、復活した名門なら、安倍は先の敗戦後、復活した名家・岸家の出である。
何れも、若くして、先輩手練の議員を押し退け、首相の座に就こうとしている。
4月に、私が予想した、民主党が様変わりした為、福田康夫が立候補しなかった。
以後、自民党の総裁選は、様相を異にしたのである。
特に、マスコミの馬鹿騒ぎが、一般世論を構図は、時代の変遷を感じない。
個人の自我が確立されていない、否、確立され得ない日本人の資質には、これは如何にも、不整合だ。
古来からのいつの世も、日本は、この様な社会であった。
安倍と近衛が類似するのも、これ必然かも知れぬ。
近衛には、元老・西園寺が後ろ盾となった、安倍には、小泉首相がバックアップする。
安倍の父・晋太郎が、三十数年かけて、総理候補に目される様になったのに対し、晋三は、政界デビュー後、僅か十年あまりで、陽の当たる坂道を駆け登ってきた。
ともあれ、近衛と安倍の相違は、前者は、四方に受けが良く、八方に意を注いだが、後者は、闘う政治家を標榜し、信念を貫こうとしている点が見受けられると云う事だ。
過大な期待・評価は、国民にとっても、不満不平の基になる事を恐れる。
合従連衡の火中に身を置く国会議員の方々は、特に、之を念頭に身を処して貰いたいものだ。
それにしても、安倍の周到な選挙戦略は、際立っている。
靖国神社へ、既に4月に詣でているのも巧妙だ。
願わくは、メッキに帰する事が無い様に…。
御当人も、重々、自覚しておられようが、チャンスは即、ピンチに転ずる事を肝に銘じておかれよう。
posted by 津々浦々 at 12:45| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月08日

夏季厳選、二十五句

御堂筋も体温を超える様な暑い日々が続いております。
此処に、夏の俳句を二十五句、独断で選択してみました。

夏の夜や 東はなしに 月は西               …宗因
有明の 油ぞ残る 時鳥(ほととぎす)

心ここに なきかなかぬか 時鳥              …西鶴

涼しさに 四ツ橋を四ツ 渡りけり             …来山

あら尊と 青葉若葉の 日の光               …芭蕉
夏草や つわものどもが 夢のあと
五月雨を 集めて早し 最上川
紫陽草や 藪を小庭の 別屋敷

草の戸に 我は蓼くふ 蛍かな               …其角

湖の 水まさりけり 五月雨                …去来

松島や 鶴に身をかれ ほととぎす             …曾良

不二(ふじ)ひとつ うずみのこして 若葉かな       …蕪村
さみだれや 大河を前に 家二軒        
牡丹散て 打ち重なりぬ 二三片     

やれ打つな 蝿が手を擦り 足をする            …一茶
大空の 見事に暮るる 暑さかな
浅間から 別れて来るや 小夕立

水無月や 伏見の川の 水の音               …鬼貫

白団扇 隣の義之(ぎし)に 書かれたり         …大江丸

目には青葉 山ほととぎす 初鰹              …素堂

紅さいた 口もわするる しみづかな           …千代女

負うた子に 髪なぶらるる 暑さかな            …園女

ずんずんと 夏を流すや 最上河              …子規
二片散って 牡丹の形 変わりけり

あつきもの むかし大坂 夏御陣              …漱石  
posted by 津々浦々 at 13:07| Comment(0) | TrackBack(1) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月04日

戦い済んで、日が暮れて

Julyの御堂筋は、駐車監視員制度のお陰で、結構、路駐は少なくなりましたが、時間帯に依っては、まだまだ路駐が有ります。
監視員のタイミングを見計らって留めている様です。
さて、先日の日曜日、滋賀県に、自民、公明、民主の三党相乗り現職知事を破って、女性の知事が誕生しました。
全国五人目だそうです。
それはそれで良いのですが、この女性新知事、小泉首相の手法をそっくりそのまま襲踏して、勝利した処がみそです。
つまり、去年の総選挙の折り、争点は幾つも有ったのに、唯、郵政民営化賛成か反対か、それ一つで、雪崩現象を起こして、大勝利しましたが、この滋賀県で、この女性候補も、その戦術を真似て見せたのです。
新幹線新駅建設賛成か反対か、それ一本に絞って、勝負したのです。
それが、奇蹟的な逆転勝利に繋がったのです。
考えてもみてください。
新駅建設と云ったって、直接恩恵を受けるのは、極近場の住民だけでしょう。
他の大多数の県民、湖西にしたって、湖北にしたって、百数十億の自分達の税金を、そんな処に使われるのは、反対するに決まっています。私だって、湖西に住んでいたら、反対したでしょう。
つまり、住民エゴが諸に反映される選挙結果になるのは、明らかでした。
この当選者は、当選直後の記者会見で、「新駅建設を知事の職権で、止めさせます。」と云い切りました。
おい!おい!知事に当選したからと云って、独裁者に成っては困ります。
日本は、曲がりなりにも、議会制民主主義の国家です。
県議会を無視した様なこの発言には、大いに問題が有ります。
多分、知事と議会が大紛糾を起こし、県政は滞り、結果的に県民の為にならない事態が出来して来そうです。
そうならない事を祈っていますが…
そも、地方自治体の首長だけ、公選とは可笑しな話です。
それなら、一国の首相も、公選にすべきです。
でも、日本は、先程も申した通り、議会制民主主義の国なのです。
地方自治体も、村長、町長、市長、知事は議員から互選するのが、筋じゃないでしょうか。
全くの素人も、清新さがあって、良いとも思われますが、地方自治体の長は、経営感覚が絶対必要です。
社長でなければならないのです。
又、立候補者は、「私が当選したら、消費税を下げます」とか、「駅の建設を中止します」とか云うから、皆に、内心「この嘘吐きが…」と、何時まで経っても、馬鹿にされるのです。
自分一人が当選したとして、そんな事が出来る訳が無いじゃありませんか。
「私が当選したら、消費税に反対します」とか、「駅の建設に反対します」と正確に訴えて下さい。
何はともあれ、この勇ましい新知事の手腕を、他県の事ながら、関心を寄せております。
posted by 津々浦々 at 12:43| Comment(0) | TrackBack(2) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月12日

梅雨の御堂筋

銀杏並木の緑に、梅雨の季節がやって来ました。
民間の路駐取締りに依り、今の処、すっきりした路上に成っております。
古来、日本では、雨の表現に、数々のボキャブラリーを表して来ました。
梅雨も、五月雨と表現する事が出来ます。
    五月雨を あつめてはやし 最上川
篠つく雨と言った処でしょう。
梅雨が明けると、入道雲に、夕立がやって来ます。
馬の背を分けると言われ、狐の嫁入りとも言われて、親しまれて来ました。
初秋になると、蝉時雨が似合いますが、これは、雨の表現ではありません。
時雨は、落ち葉が似合います。
小糠雨のイメージがあるのは、私だけでしょうか。
驟雨と言うのも、この季節の雨でしょうか。
冬には、氷雨が待っています。
これは、御堂筋にはあまり関係ありませんが…
春雨が降る頃には、濡れていく事が出来ます。
豪雨雷雨は、およびでは有りません。
その季節毎に、降る雨に咲く花も、セットされています。
春雨に菜の花、梅雨に紫陽花、夕立には朝顔、時雨には桔梗、氷雨には椿。
その反対に、桜に雨は、天敵です。
以前、蒜山高原に行った時、霧雨の、幻想的な風景を目の当たりしました。
現実の雨ではないけれど、甘露の雨を、味わってみたいものです。
ともあれ、暫くは、梅雨が続きますね。


posted by 津々浦々 at 12:54| Comment(0) | TrackBack(2) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月18日

粋な女

いなせな江戸っ子・杉浦日向子、深窓の令嬢風・足達瞳子、爽やか笑顔のやすみりえ、現在の日本には、絶えて久しい、いい女じゃありませんか。

日向子さんは、蕎麦を手繰りながら、銚子を傾け、透け通る肌を桜色に染めて、江戸文化を語っておりました。

瞳子さんは、触れなば落ちん風情で、頬を染めながら椿を生け、を終生のテーマに生け続けました。

りえさんは、唯一の存命ですが、兎の愛らしさで、苺と星とミルクティーで川柳を詠んでは、うなじを紅潮させています。

日向子さんは、白血病の病魔と闘いながら、その素振りさえ見せぬ明るさで、現代江戸を駆け抜けました。

瞳子さんは、家元のお父上と葛藤しながら、朗らかな生をまっとうしました。

りえさんは、港町・神戸より、居を大渦巻きの東京へ投じ、更なる変遷を遂げようとしています。

Remember three ladys

Don't forget three ladys




posted by 津々浦々 at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月09日

新渡戸稲造、かく語りきや?

さて唐突ではありますが、此処で、武士道を復活させてみませんか。
太平洋戦後の早い時期、坂口安吾は、武士道の堅苦しさを忌み嫌い、徹底的にその制度を否定していましたが、今のこの世に生きていたら、果して、何と云うでしょう。
そも、政事は、士分の仕事でした。
硬直した組織体系は、確かに、弊害がありますが、その身の処し方、ものの考え方は、大いに、参考されて然るべきです。
「国家の品格」なる書物がベストセラーになっていますが、恥の文化を基礎とする日本固有の武士達の処世が、今の日本には、必要だと強く感じます。
翻って、現今の為政者達に、如何ほどの資質があるのでしょう。
小さい事からこつこつととか、ジャンケンポンで選挙ですとか、料亭に行きたいなあとか、社会勉強の為にキャパクラでも何でも経験しますとか、そんな人間が、国政を担う世の中です。
自由平等ですから、そう云う人間も、国会議員に成れる世の中が、本当に、良いのでしょうか。
人間は十人十色、色々な人が居ますが、大別して、三等分出来るでしょう。
そこで提案です。
国会議員に立候補する為には、国家試験を導入しましょう。
それをパスした人のみ、立候補を受け付けます。つまり、士分に採り立てるのです。
そして、連呼のみの意味の無い選挙遊説は廃止して、テレビで、立候補者一人一人が、記者会見を開いて、あらゆる質問に答えて貰います。
有権者は、その中から選択すると云う方式を採るのです。
そうすれば、その人物の人となりや、あらが自ずと見えて来るでしょう。
大体において、国政に携わる者、国家観と方向性と大局観を、持ち合わさなければ、その資質は、なきものと断じたいものです。
悲しいかな、今は人気者ばかりが、世の中を牛耳っているのが実情です。
世の中須らく、バラエティの世になってしまいました。
生きると云う事を、普通に考える行為が、失われている日本です。
テレビを観て御覧なさい。
どのチャンネルも、芸の無い、刹那的な笑いを誘うものばかりが、垂れ流されているばかりです。時には、そういうものも必要ではありますが、ユウモアの欠片も見当たりません。
大衆の文化は、何時の世も、そう云う傾向がありますが、選良としての議員は、確たる恥の文化を、示したいものです。
そうするには、やはり、国家資格と記者会見で、選別して行くしかありません。
選挙区を大別し、そこから、二十代〜三十代の男女一名づつ、四十代〜五十代で一名づつ、六十代〜七十代で一名づつ、計六名を選出すると云う方式が、望ましいと思われます。
兎に角、もう、武士の心根の無い者は、懲り懲りです。




posted by 津々浦々 at 15:25| Comment(0) | TrackBack(1) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月03日

政局を読む

メール問題で対応を誤り、民主党を解党的危機に陥れた、前原代表がこの時期に辞任しました。
昨年、郵政民営化選挙で大打撃を受け、党再建の大使命を帯びて、若きリーダーとして、颯爽?と登場してから、一年も経ていません。
執行部を、若手側近で固めたまでは良かったのですが、如何せん、今回のメール問題では、世論の動向、危機管理能力の対応の無さを露呈してしまいました。
猿でも解ると云っては失礼ですが、一国民として勘案すれば、辞任の時期は遅きに失したと思います。
時を見る目は、リーダーとして重要だと思います。
時を見紛うて、壊滅した歴史上の事象は、古今東西、枚挙に暇がありません。
その度に、民が泣いてきたのです。
政治家は、よく国益、国益と云いますが、民衆益がどれほど、このリーダーの時を見誤って、失われたか計り知れません。
民主党は、メール問題の調査報告書を公表しましたが、その中で、二月の時点で既に、メールは偽物との認識があった様です。
嗚呼、それなのに…
更には、情報提供者から「情報」を一千万円で買い取る話とか、その提供者を党職員に雇うとかの話は、言語道断で呆れ果てます。
民主党の今迄の国会質疑の資料は、金で買ったものだったのですか。
そりゃ、金が要る筈です。
ともあれ、時を失したとは云え、執行部は総辞職しました。
ここで、党内外から聞こえてくるのは、「やはり、若さだけでは駄目だ。経験不足だ。」との、明ら様な声です。
揺り戻しと云えば当然ですが、それだけで時計の針を戻して欲しくありません。
そも、民主党は、政権交代の受け皿として、二大政党の一翼を担う政党として、発足期待されたものです。
権力は腐敗する―――云い古わされた言葉ですが、自民党が一貫して、政府を握る構造は、民主主義の理に反します。
ここは、民主党の若さに、大いに働いて貰わねばなりません。
ここで、現時点で取り沙汰されている人物が、党首になるのでしょうか。
それはそれで、或いは、民主党が戦う集団に変貌するかも知れません。
若さとは、何も年齢だけの事では無いのですから。
しかしそうなると、自民党の「麻垣康三」の「三」は、多分、落ちこぼれます。
国民・党員の圧倒的支持を得ていますが、永田町の論理の前に敗れ去っている事でしょう。
日本国の首相や、誰に?




posted by 津々浦々 at 15:07| Comment(8) | TrackBack(6) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月01日

トリノ冬季オリンピックですか

先ずは、今回のトリノオリンピックが終了して、日本史上、最高の慶事が記録されました。
それは、女子陸上史上、初の金メダルを獲得した高橋尚子と、女子競泳自由形史上、初の金メダルを獲得した柴田亜衣と共に、今回、女子スケート史上、初の金メダルを飾った荒川静香の、初尽くしトリオが誕生した事です。
高橋尚子はQちゃんのニックネームを冠し、柴田亜衣は皇室の人気者、愛子内親王を連想させ、荒川静香は、「荒」と「静」の名前のバランスの妙があります。
このトリオの偉業は、誰をも寄せ付けない至宝です。
然るに、冬季オリンピックの宿命でしょうか?
競技人口の絶対的な少なさが相俟って、冬季では今回が三回目の出場、四回目の挑戦と、マスコミが、その競技者努力を持て囃すが、早い話、それだけ他に人がいない、つまり、国内で一度頂点に立てば、競争相手が殆ど無く、加齢はしていっても、何回もオリンピヤードの舞台に立てるという、日本の下地があるのです。
そも、オリンピックとは、若人の祭典でしょう。
たまたま、年齢の高い人が良績を残すと、中年の星とか云って、直ぐ、マスコミは持ち上げますが、そんなものは競技ではないでしょう。
肉体の最高のパフォーマンスの披瀝が競技なのです。
動物の、人間の肉体は、生理的に十代・二十代が最高の時期なのは明らかでしょう。
そんな肉体の格闘技を競うレベルで、四年に一回のオリンピックに、三回も四回も出続けられるというのは、奇妙な話です。
それは、その国における、その競技が既に競技に成っていないという事でしょう。
オリンピックに参加する他国に失礼です。
嘗てバロン・クーベルタンは、「参加する事に意義がある。」と宣託されましたが、その意味する処は、スポーツを通じて、一国でも多く交流し、世界平和を願うという事だったでしょう。
されど、一世紀以上が経過した今に至るまで、その目的は達成されていません。
その折々に、如何な国が参加したとて、世界の紛争は絶えないのです。
オリンピックは、その一助に成り得ても、それ以上ではありません。
であるならば、参加国に失礼に当たらない為、レベルの低い競技は、三人も四人も参加させず、一人に絞って、或いは、参加ゼロにすべきでしょう。
よく関係者が、世界の舞台を経験させるという趣旨の発言をしますが、オリンピックは競技の場です。
経験の場では無いのです。
中年にしろ、熟年にしろ、若人のパフォーマンスから活力を受けるのです。
同年代の活躍から勇気を貰うというのは、少し違うでしょう。
最後に、特に今回、思慮に欠け、履違えた言動で呆気に取られたのは、スノーボードのハーフパイプに出場した、成田童夢と今井メロという兄妹と、アルペンスキー回転に出場した、佐々木明です。
それは、此処に詳報しませんが、本人と皆さんが、よく解っておられる事でしょう。
(敬称略)
posted by 津々浦々 at 15:15| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月10日

東横インって何?

よくもまあ、次から次へと、社会不正義が露見するものです。
鬼平犯科帖の「何時の世も、悪は、はびこる」とは、云い古わされた事ですが、将に、右も左も、真っ暗闇の世の中じゃござんせんか。
姉歯に続いて、東横インですか。
何ですか、この企業は。
60キロの制限速度を67〜68キロ位で走行してしまいましたが、そんな大騒ぎする様な事じゃ無いでしょう。との、社長の釈明でしたね。
それ位、誰だって、自覚するしないに係わらず、やっているでしょう。との意が、言外に漂っていました。
社長さん、そんな例えは、ないでしょう。
企業のモラルも、そこまで堕ちましたか。
よく解りました。
世の中の企業と云うものは、自己の欲望を満たす為、利潤追求の為なら、法律や、条例や、倫理は、無視して掛かるべし、と云うのが。
その栄えある代表が、東横インでした。
社長がワンマンと云うけれど、社員は、何をしていたんでしょう。
社長だけの責任じゃないでしょう。
類は類を呼ぶと云う通り、社員のモラルも、それ相応のものだったのでしょう。
意見具申も出来ない様なら、マインドコントロールされているカルト集団と同じ事です。
従業員の90%が女性で、全国各地に、百数十あるホテル店舗の支配人は、全て女性と云う事です。
ホテル経営の、成功の秘訣は、唯一つ。
女性を使う事であると。
何故なら、女性は、細かな処に気が着き、客をもてなすのに適していると。
なるほど、そうで御座いますか。
客をもてなす為、法律を犯してまで、駐車場を宿泊室に替え、バリアフリー設備を取り外し、老人と身体不自由者を締め出し、行き届いた接客に、心配りをして頂きました。
百数十人もの女性支配人がいて、誰一人、この異常さに違を唱えなかったのは、何なんでしょう。
多分、この会社では、逆セクシャルハラスメントが、はびこっているんでしょうね。
女性だから、何処がきめ細かい接客ですか。
弱者を締め出す事を、当然と受け入れる女性社員の差別意識は、怖いものがあります。
役所への説明会や、記者会見の席上、たいぎょうに腰を90度に折って、能面の様に、同席している女性、企画部長か管理部長か知りませんが、女性としての、どんな責任を感じているのでしょうね。
国家権力の役所とは話をするが、社会への説明責任を果すべく、マスコミとの取材には一切応じない、完璧非道な悪会社人間ですね。
恐怖と冷徹を感じて、背筋が寒くなります。






posted by 津々浦々 at 15:40| Comment(0) | TrackBack(5) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月06日

新春駄川柳

◎互礼会 ケーキ(景気)が付きもの イヴの如
   毎年、財界人、政界人の新年互礼会で、
   必ず話題に上るのが
   「今年の景気はどうですか。」

◎着物とは 冬と夏との 風物詩
   日本人は着物を着なくなりました。 
   新年の晴れ着とお盆の浴衣だけとは情け無い。

◎カラオケと 娘が出番 待つ今年
   今年は平成十八年。 おはこと番茶は、十八よ。

◎九千万 八百萬神でも 間に合わず
   今年の初詣は、史上最多の九千万人を超えたとか。 
   幾ら日本の神々が多くても、手に余るんではないですか。

◎上がらぬなら 上げてみしょう 誤発注
   去年の暮れ、あれだけ大騒ぎをしたのに
   年初も亦、誤発注しますか。

◎初出には 気分も天気も 悪くなる
   今年の冬は、記録的な寒さです。
   ところが、三が日だけは良い天気でした。
   なのに、人々が、初出の頃になると
   また、天候不順。
   出勤するのが、おっくうになります。

◎ご自慢の 犬評会なり 年賀状
   犬年の今年は、ワンちゃんのオンパレードの年賀状が
   ここぞとばかり、巾をきかせていましたね。

◎トリ年は 過ぎ去りにしに コーケコッコー(後継此処)
   ポスト小泉が かまびすしい。
   我こそはと手を挙げる人々の思惑や如何

◎食べ残す 縁起物です おせちです
   おせちには色々いわれが有り、縁起が良いご馳走ですが
   やはり、2〜3日もすると飽きがきますよね。

◎初夢は 富士じゃないかと 亜細亜大
   
◎優勝の 名さえ挙がらず 箱根道
   下馬評にも上がらなかった亜細亜大が
   大逆転の初優勝。おめでとう。

◎うるう秒 ストップウオッチが 気を遣い
   今年は、うるう秒を1秒付け足しました。

◎綱吉公 さぞやニンマリ 犬ブーム
   犬公方は草葉の陰で
   嬉し涙にむせんでいるでしょう。

◎大合併 再認識した 年賀状
   犬と並んで、今年の年賀状は、平成の大合併で
   住所が変わりました。が目立ちました。




posted by 津々浦々 at 14:29| Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月01日

四十九歳

人間五十年、下天のうちを較ぶれば、夢幻の如くなり
織田信長が、桶狭間に挑む時、上記の幸若舞を舞って、敢然出撃し、自身の運命を切り開いたのは有名です。
死のうは一定、この世に生を受け、滅せぬもののあるべきや
とは、非常に勇躍感に富んでいるか、悲壮感を漂わせているか、とまれ、この若者は、人生を達観していたか、自身の行く末を予感していたのでしょうか。
四十九歳で、本能寺で倒れた時「是非も無し」とは、象徴的な事ですね。
事ほど左様に、四十九歳で、生を絶たれた人物は、結構いるものです。
遡って、飛鳥時代の聖徳太子も、四十九歳の生涯だったと云われています。
彼は不思議な人物ですよね。
一説に因れば、天皇であったと云う説もありますし、極端な話、実在の人物ではない、と云う説もあります。
確かに、歴史上、太子と云う称号は、後にも先にも存在しませんよね。
推古女帝の摂政と云う事になっていおりますが、確たる証はありません。
しかし、彼の行動範囲は結構広く、四国は松山の道後温泉から、中国地方、兵庫県にも、その事跡は点在しております。
次いで、戦国時代の猛将・上杉謙信がおります。
彼は、春日山城で四十九年の生涯を病死しておりますが、下克上の世に突入しても、あくまで、伝統故事を尊び、決して、天皇家・将軍家・主家を蔑ろにする事なく、その生涯を捧げました。
善悪は別にして、一途な道とは云えますね。
彼、もし、もっと生き永らえておれば、歴史は、或いは変わっていたでしょうか。
更には、戦国も末期、徳川家康が天下の覇を握ろうとする時、心胆寒からしめた、真田幸村も四十九歳で倒れたのです。
大坂夏の陣、自身の意が入れられずとも、逍遥として、敢然、大坂城から撃って出て、家康の本陣に、あわやの処まで迫ったのは、これまた、死を覚悟した事だったのでしょうか。
時代は下って、あまり著名ではありませんが、幕末近く、勝海舟の父・小吉も四十九歳だったのです。
貧乏旗本、御家人の家に生まれた彼は、放蕩三昧の若年期を過ごし、波乱万丈の生涯を送った人物であります。
彼がいたればこそ、その反面教師として、海舟が生まれたと云っても過言ではありません。
晩年、(夢酔独言)と云う鬼気迫る文章を家人に残したのは、ご愛嬌です。
明治に入って、文明開化が進む中、一躍、超流行作家になったのが、夏目漱石です。
彼もまた、胃が弱いと言われながら、四十九年の生涯を閉じました。
洒脱な文章に似合わず、ナイーブな彼は、この人生を、どう把握していたのでしょうか。
理不尽な、もっと人生の火を燃やしたい、と感じていたでしょうか。
戦後、超売れっ子作家として時流に乗り、その名を欲しいままにした坂口安吾とて、五十の坂は越えられず、四十九歳でこの世を去ったのです。
無論、彼も、こんなに早く死ぬとは思っていなかったでしょうが、達観はしていたと思われます。
交流のあった太宰治や織田作之助やらが、三十代の若さで命を絶っているからです。
事ほど左様に、人生は五十年、その一歩手前の四十九歳は、節目になっているのですね。



↑ ↑ ↑ ↑ ↑
ワンクリックして頂ければ、嬉しいです。
posted by 津々浦々 at 15:53| Comment(6) | TrackBack(2) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月02日

小泉・構造改革継続?内閣発足(続)

防衛庁長官に返り咲いたのは、額賀氏。
彼こそ、麻垣康三より前に、首相候補として名が挙がった人物ですね。
今度の防衛庁では、前回みたいなチョンボはしないでしょうが、米軍再編と普天間基地の問題、軍備を増強させつつ、アジアの覇者たらんと虎視眈々の中国との、際どい舵取りは、非常に困難なものがありますね。
お次は、末席にも座らなかった、福田氏。
これは、見方が分かれる処ですが、小泉サンがあえて座らせなかったのか、小泉サンが座らせたく無かったのか、福田氏が入閣を拒否したのか、この3通りです。
多分、小泉サンがあえて座らせず、スペアーとして、温存したのだと思います。
さてさて、お次に控えしは、ご存知、郵政の竹中氏。
小さな政府の提言者で、小泉改革の申し子は、ひょっとすると、あるいは、ブッシュ大統領のライス国務長官の立場でしょうか。
いやいや、そこまで云っては、平蔵先生は恐縮するでしょう。
まあしかし、総務相になったからには、三位一体を始めとする構造改革に、難行苦行を強いられるでしょう。
さらに、お次に控えしは、二階氏。
この、選挙にめっぽうお強い御方は、自由党より復党するや、武部・偉大なイエスマン幹事長を手助けし、総選挙の裏方一切を仕切った、凄腕です。
今回、中川氏の後を襲って、経産相に就くのも、その凄腕を見込んでのものでしょうか。
中国との海底油田の問題、アメリカとの牛肉再輸入の問題、農水省との連携は見ものと云っていいでしょう。
またまた、お次に控えしは、与謝野氏。
君、死に給もうこと勿れ。で有名な与謝野晶子の孫としては、二階氏と違い、選挙にめっぽう弱い人ですよね。
政調会長として、郵政法案を党内で、ほうほうの体にしろ、まとめ上げた点で、論功行賞の一番手として入閣したのでしょう。
政策通とは聞きますが、就任初日で、東証のシステム障害に見舞われるとは、前途を暗示していませんか。
それでも、お次に控えしは、刺客一号・小池氏。
彼女も、ギラギラの論功行賞組でしょう。
自由党より自民党に移って、正解の一人です。
前回、環境相を留任した時、派の親分・森前首相より、「彼女を留任させるのは、有難た迷惑だ。他にも、待機組がいっぱい居るのに、何故そんなに、彼女だけ優遇するのか。」と口を極めて罵られていたが、意外に、彼女はしたたかではないでしょうか。
度胸も深謀も持ち合わせているかもしれません。ただ、小泉サンに、これだけ重用されれば、一年後、小泉首相が退陣した時、難局を迎える事になるでしょうが、あるいは、意外な実力を付けているかも知れません。
さらに、お次に控えしは、川崎氏。
国民の最大関心事である年金問題を筆頭に、医療行政で医師会と徹底抗戦せねばならぬ立場は、真にお気の毒です。
下手をすれば、次の選挙で落選するかも知れません。
そのリスクを敢えて負い、敢然と、畑違いの分野に放り込まれた、彼の意気や如何。
案外、分野外の発想で、切り開くか、こけるか、お手並み拝見でしょう。
続いて、お次に控えしは、小坂氏。
目立たぬ処で、今回、文部科学相に就いた小坂氏。
やはり、どんな社会でも、見ている人は見ているものですね。それを伺わせるのが、この人事です。
ひょっとすると、彼は大化けするかも知れません。
小泉サンの嗅覚で、そう読んだのでしょうか。
さあ、それはどうかな?
さて、どん尻に控えしは、ご存知、マドンナ・猪口氏。
彼女は今回の選挙で、比例単独1位に名を連ねた段階で、今日の入閣を約束されていた筈です。
それは、見え見えの事でした。 但し、政界は一寸先は闇、昨日の約束が、今日は反古にされる世界です。
組閣当日、猪口氏も、やはり半信半疑だったでしょう。
緊張しているのが、有々でしたね。 それは、ご愛嬌。
まあしかし、今回の選挙で、訳の解らぬ者が、不覚にも大量に当選してきた中で、彼女は穏当な方でしょう。
詰まる所、この内閣に期待したいし、期待するのは、兎にも角にも、官僚と闘って貰いたい、言いなりじゃなく、官庁へ指導力を発揮して貰いたい、もっと云えば、官庁を解体する位の気概で臨んで貰いたいと云う事です。

posted by 津々浦々 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(6) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月01日

小泉・構造改革継続?内閣発足

度々、政治の話で恐縮です。
小泉首相にとっては、サプライズの無いサプライズ人事が決定しました。
午後1時からの衆院本会議が終わり、首相官邸へ次々と呼び込みが始まるや否や、続々と、新閣僚が決定して行きました。
今回の人事では、小泉首相には珍しく、配慮を利かせた物となりましたね。
ポスト小泉として、先ず、官房長官に国民的人気のある安倍氏、財務省に堅実な谷垣氏留任、外相には一方の旗頭・麻生氏を総務相より横滑りさせ、着々と力を付けて来た中川氏を経産相から農水相にコンバートし、防衛庁長官には最適任の額賀氏を据えました。
憎い事には、これらの人が皆こけた時、福田氏を温存しておくという手を取った事です。
論功行賞的な意味合いでは、総務相には竹中氏を任じ、経産相に総務局長から二階氏、経済財政相に政調会長の与謝野氏、小池氏を環境相に留任させました。
実務型では、厚労相に川崎氏を据えた事です。
目新しい処では、小坂氏を文部科学相、少子化担当に猪口氏を就けました。
悲願数十年の、新自由クラブの生き残り・中馬氏を入閣させたのは、ご愛嬌です。

さて、一人づつ、観て行きますか。
先ず安倍氏、云わずと知れた自民党のプリンスで、内閣の顔として毎日の定例会見で、全世界にコメントを発する役を担います。 閣内では、各省庁の束ね役になる為、全ての情報が集まる、絶大な権力の中枢となります。 彼の力量や如何。
強硬意見で鳴らすが、今のところは意志が振れ無い姿勢が貫けるかどうか、お手並み拝見。
次に控えしは、谷垣氏。
加藤の乱では、親分に殉じようとした熱血漢。 今や実務派の大看板にのし上りましたが、官庁の中の官庁・財務省の超抜エリートを、押さえつけられるかどうか、首相も、その手腕を試している処でしょう。 国民の最も忌み嫌う大増税の旗振りを、泥を被って遣り遂げねばなりません。 これは、あるいは、小泉サンの甚深遠慮な想いかも。
続いて、お次に控えしは、麻生氏が御出ましです。
郵政民営化に道付けした、総務相を移り、伏魔殿と云われる、外務省に乗り込むことになりました。
これも、小泉サンの深謀遠慮。 日中、日韓、日朝、日米で打開策を講じるならよし、潰れるなら、それはそれでよし、と云うスタンスが観て取れます。 近隣諸国への強いメッセージを発した事になるでしょう。
さてさて、お次に控えしは、経産相より横滑りした中川農水相。
ポスト小泉の盲点になっていた感があるが、ここへ来て、第4コーナー大外より追撃を開始した模様です。 海底油田問題では、中国に強硬意見を吐き続けましたが、今度は、牛肉再輸入問題で、アメリカと交渉する事になります。 結果次第では、厚労省と責任を負わねばならなくなります。 後の席に控えている人は、また次の機会に譲りましょう。





posted by 津々浦々 at 15:21| Comment(2) | TrackBack(11) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月04日

犯罪被害者の不合理

日本の刑法は、不条理だと思いませんか。
罪を憎んで人を憎まずなんて、出来ますか。
たった一度しかない人生に、被害を受けて、加害者にも人権があるのだからと、赦さなければ成らないのでしょうか。
被害者は死して、もう人権が無く、加害者は生きているのだから人権を要す、と云うのは、どう考えても腑に落ちません。
日本の刑法は、懲悪では無く、更正目的で成り立っています。
尚且つ、人が人を裁く事が出来ないと云う非常に崇高な?側面から見れば、非常に無責任な思考に拠って構成されています。
犯罪を犯す者は、極稀な情状酌量の余地がある人を除いて、皆、極悪人なのです。
この世に存在不可分の人種です。
例えて申せば、政治家が、「国民全員が幸せに成るように働きます。」と云っている事が、欺瞞に聞こえるようなものです。
全員が幸せなんて、人間は十人十色、人生色々、思想も生き方も千差万別です。
自民党は、共産党や社民党を相容れず、その逆も亦然りです。
ことほど左様に、全員をと声高に叫ぶは、全員が善人と云っている事と同意で、意味を為しません。
考えても見て下さい。
犯罪者は、国費で、つまり税金で、傷の手当てを受け、食事を施され、技術を習得し、僅かな時間の経過で社会に舞い戻って来るのです。
刑務所には不思議な制度があって、品行方正(こんなものは信用ならない)であれば、刑期より数段早く社会に戻ると云います。
こんな当てに成らないものは無いのであって、再犯率が高いのをみても御解りでしょう。
反面、被害者の方を見れば、驚くべき事に、傷害を受けた場合、何と、自費で治療しなければ成りません。
恐怖のトラウマが残っても、何ら支援は無く、生涯、苦しみを引きずらなければ成りません。
加害者は、短時日で社会でのうのうと暮らし、被害者は、生涯、治療費と恐怖で暮らす構図です。
死に至らしめられれば、僅かばかりの保証金で人生を終焉するのです。
遺族に対する保証・支援は一切無く、嫌な言葉ですが、泣き寝入りで終わってしまうのです。
これが人道主義ですか。
これが人権ですか。
矛盾と云うには、あまりにも不合理です。
世界平和を唱えるのも結構、負け組を助けるのも結構、されど、真の弱者は犯罪被害者です。
日本の法の精神を転換して下さい。
明言しましょう。
犯罪者に人権は、いらないと。
posted by 津々浦々 at 16:07| Comment(5) | TrackBack(1) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月20日

郵政民営化・総選挙 結果分析

小泉・自民圧勝劇から一週間、ここらで一応、総括しておきましょう。

自民党が是だけ勝つとは想定外でした。
小選挙区制度の下では、こう云う事も有り得るでしょう。
先づ、当らなくてもいい人、当したくない人が、やはり復活しました。
新党大地の鈴木宗男、有罪判決を受けていながら控訴中で立候補して来るとは、その主張も、地元北海道に利益誘導する事ばかり、道義的・時代的に反社会の極みです。
千葉の中村喜四郎、最高裁で有罪が確定し議員を失職しながら、罪を償ったからと云って、再度立候補して来る厚顔さ。
確かに罪を償えば、一般市民ではあるけれど、国政に携わるのですよ。
大阪の辻元清美、自分の必要以上のパフォーマンスで、国会の論戦にエクスタシーを感じる人物。
本人は権力に立ち向かっていると云う変な自負心を持っているようだが、勘違いも華々しい。
奈良の高市早苗、小泉の刺客候補の一員に選ばれ、有頂天になって立候補し、当選の第一声が、2区で当選したのだから、総理、誉めてください。とは、何たる勘違い。
貴女の力で当うった訳ではありません。
小泉人気で当うったのです。
今度の選挙でこの4人にだけは、復活して貰いたくは無かったのですが、残念ながら、予想通り、当選してしまいました。

さて、公選法です。
今回の選挙でも、社民党が立候補させた候補が、公民権停止中と云う事で、名簿から外されると云う失態を演じましたが、(党首の福島は弁護士でしょう。そんな事も解らなかったとは、呆れ果てます。)それはさて置き、言わば、こんな軽い罪で立候補出来なくて、執行猶予中とか(辻元清美が是に当てはまる。)有罪判決を受けていながら、控訴中と云う事で立候補出来るとは、可笑しな制度です。
刑法につては述べたい事が他にもありますが、此処は公選法に限定して述べてみますれば、
先づ、執行猶予中は公民権も停止するべきです。
次に、一度有罪判決を受け控訴中も公民権を停止させるべきです。
そうしなければ、おかしいと思いませんか。

ところで、誰が認めているのか、訳の解らない政治評論家が居ます。
福岡政行? 何ですかこの人は。
最初、肩書きが白鴎大学教授だったのが、いつの頃より、立命館大学客員教授になっているのは良いとして、週刊誌に選挙の当落予想を出したり、TVで政治解説をしたり…
当落予想は、最初、小泉・自民党大敗として、段々、修正して行くと云う、本質の見極めの無さ。
TVでは、自慢たらしく、直ぐ、私の教え子が〇〇の市長、〇〇党の代議士をしていますがと、口幅ったく言い放っております。
何か問題があれば、教え子の〇〇代議士に私が云っておきますと、云うのは、地方の名士気取りでしかありません。
キングメーカーを気取っているのか、聞いていて是ほど見苦しい事は有りません。
本当に大物を育て上げた人は、そんな事は云わないものです。
まあ、こんな人物を使っているTV局や週刊誌は、その内、淘汰されるでしょう。

続いて、比例代表重複立候補の件です。
現行制度では、小選挙区の惜敗率で復活を決めていますが、是だけでは不充分です。
選挙区によっては、立候補者3人共、復活で当選し、或る選挙区では立候補者4人中、最下位第4位の者が復活当選し、次点・3位の者は落選と云う不合理な現象が起こっています。
華々しい場合、法廷得票数、つまり、総投票の一割未満しか得票していないのに、当選と云う事態が起こりました。
是は是非、改定して貰いたいものです。
少なくとも、復活する場合、次点でなければならないとか、惜敗率が80%以上であるとかに限定して貰いたいと思います。
よし、それが出来ないなら、重複は認めない事です。

さて、マニュフェストについてですが、
小選挙区制度になったら、自ずと、政党政治の原点に戻ります。
政権交代を目指して戦う訳ですから、政権構想を掲げるのは当然ですが、それには少なくとも、それなりの候補者を擁立しなければ、国民を馬鹿にしています。
政権を目指せない党がマニュフェストを出すのは茶番です。
そう云う党は、真に国民を思って、努力しているとは思われませんし、自分の保身の為に流されているとしか思われません。

共産党、社民党は、不思議な党です。
アメリカに無理やり押し付けられた憲法、特に9条を金科玉条の如く死守せよと主張していますが、貴方達、安保反対・米国NOの急尖兵だったのじゃないのですか。
そんなアメリカから押し付けられた憲法を、嬉々として拝受し給うとは、それこそ米国隷従でしょう。
9条改定する云々は別として、戦後60年、そろそろ日本人の手で、日本国憲法を策定し直しても良い時期です。
議論を重ね、その上で、9条を残すなら残せば良いのです。

最後に、小選挙区の下では、今回は自民が圧勝しましたが、必ず揺り戻しが起こります。
民主党は、新代表の下、地道な努力を怠らない事です。
但、党内を編成変えする必要が必ず何処かで起こるでしょう。
岡田旧代表も才能ある人物ですが、時に恵まれませんでした。
兎に角、政権交代の無い政治は澱みます。
江戸時代、二百数十年、その間、享保の改革、寛政の改革、天保の改革等々経ましたが、終に、明治維新で政権交代を果しました。
歴史は、庶民は、常に求めるものが有るのです。







posted by 津々浦々 at 14:41| Comment(6) | TrackBack(2) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月01日

芸能人の評価・ギャラについて

今回の総選挙は、タレント・芸能人の類が殆ど立候補していないのは、御同慶の至りです。
さて、タレント・芸能人と云うからには、他に比して何らかの才能を有しているのが当然です。
翻って、現今の芸能界を見るにつけ、馬鹿馬鹿しく、腹立たしく呆れ返るものは有りません。
考えてもみて下さい。
芸能と呼ばれるものは、太古の昔から人々を感動させ、驚嘆させる存在であったのです。
天岩戸を開く巫女さんから、平安時代の白拍子、時代が下れば琵琶の奏者、江戸時代には超一流の歌舞伎役者は千両役者と呼ばれました。
最高峰のトップスターが千両役者だったのです。
千両とは現在に換算すれば、貨幣価値の換算方法にも因りますが、年収約8千万円位だと思われます。
然るに、現在の芸人は才能も無いのに、年収1億円以上の人がざらに居ます。
如何なる理由で、こう云う捻じれきった不当な不公平な社会になってしまったのでしょう。
今は総選挙の最中で「不公平を無くせ。」と拡声器で叫びまくっておりますが、社会を構築するもの、為政者であろうが庶民であろうが機構であろうが、皆、時代の趨勢の子羊なのでしょうか。
本来、いきとし生ける人の最重要事は食物にあります。
つまり、グローバルに考えるならば、食物を栽培する農民や猟師が、最大の受益者であって然るべきです。
何故に、生活に必要の無い下らん芸人に高いギャラを払って、見たくも無い物を見せられなければいけないのでしょうか。
誰が、何が悪いのでしょう。
テレビ局ですか。
スポンサーですか。
マスコミですか。
はた亦、それに馴らされた大衆ですか。
昔、評論家の大宅壮一が云いました。「テレビの普及に因って、一億国民総白痴化になる。」と。
予想通りの世の中になりました。
上岡龍太郎も云いました。「こんな楽な商売は無い。うだうだ喋って、大金が手にはいるのだから。しかも、一日の実働は2〜3時間だ。」と。
本音だと思います。
無論、我等に感動を与え心を癒し人生を豊かにしてくれる芸能人も当然居ります。
だけど、クラシック演奏家にしろ、落語家にしろ、舞台芸人にしろ、才の無い芸人より年収が少ないのが現実です。
つまらぬテレビの番組のスポンサーが、何故か馬鹿高いスポンサー料を払っていると云う事は、我々がその企業の割高な商品を買わされていると云う事になります。
つまらぬ芸人を起用すれば、これ亦、そのギャラが上乗せされ、馬鹿高い商品を買わされる羽目になるのです。
拠って、芸人のギャラは全て歩合制にするか、一般国民の平均年収以下にしたらどうでしょう。
視聴率が0.001%上下する度に幾らとか、商品の売上高に拠って幾らとかにするべきです。
嘗て、島田伸介が「わしは何の為に芸能界に入ったと思う? 女にもてて良い暮らしをする為に入ったんじゃ。」と、のうのうと露吐していた。
確かに伸介のあの顔では、女は誰も近づかないでしょう。
しかしまあ、是ほど左様に才無くても、不当に大金が芸NO人に転がり込む世になってしまったのです。
白猫でも黒猫でも、鼠を取るのが良い猫だ。
人間でも、食物を作る人が良い一番高く評価されなければおかしい。
世の中の不公平感と人間が生活する実生活の摩訶不思議感は、此処に極まれり。





posted by 津々浦々 at 16:08| Comment(2) | TrackBack(1) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月09日

衆議院解散―緊急提言

小泉首相が衆議院を解散しました。
ヤケクソ解散・身勝手解散等々批判非難が相次いでいますが、毀誉褒貶は時の常、謗る者には云わせて置けば良いのです。
信念を貫くのは易い事では有りません。
評価は後の世が下す事です。
徳川慶喜が大政奉還をした時、龍馬は云いました。
「大樹公、良くぞ御決心なされた。これで日本は救われる。」と。
それが龍馬が殺される一月前の事です。
慶喜は政権を返上した後も、新たな政府組織で政権を担おうと目論んでいましたが、結果は賊軍として処罰されたのは、ご承知の通りです。龍馬も又、新政権では、慶喜を首座に据えるつもりで居た節が有ります。
反対派を押さえて大英断を下した慶喜、結果的には、幕府(政権)を潰しましたが、明治維新と言う新しい時代を切り開きました。
小泉首相も多分、同じ結果になると思います。
本人は選挙に勝って、再度政権を担おうと思推していますが、多分、過半数は取れないでしょう。
つまり、慶喜と同じく任期を余して、下野しなければならないでしょう。然しながら、自民党をブッ壊し、社会の悪弊を絶ち切る絶好の新時代到来を呼び込むかも知れません。小泉首相の思惑は外れますが、結果として、大変革をもたらす筈です。
但し、ここで真価を問われるのは、国民有権者です。
明治維新は、常に虐げられていた下級武士が成し遂げました。
今、その立場に居るのが、主権者たる国民です。
主権者と煽てられて、変革(選挙)に参加しようともせず、唯々諾々と、為政者の言いなりになっていた今までの姿勢を正すべき時です。
投票率50%以下なんて、とんでもない背信行為です。
一票を行使しないで、文句タラタラの態度は、もっての他です。
さりとて、立候補者は良く見極めて下さい。
以前にも書きましたが、大阪には、勘違いで出馬する女性候補者もいます。
北海道では、未だ罪に問われ公判中の候補者が、新党を立ち上げるそうです。
何が、彼等を立候補に駆り立てるのでしょう。
見栄と自身の快感と権力欲に、魅入られていると断言しておきましょう。
いづれにせよ、小泉首相が、命を賭して断行したこの好機を、断固掴み取りましょう。
posted by 津々浦々 at 16:33| Comment(3) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月03日

敗戦六十周年に想う

無責任国家
今年もまた、8月15日がやって来ます。
あの日から60年、還暦を経た事になります。
現在生息している日本国民は、殆どが、戦争のせの字も知りません。そう云う時代に生を享けた我々は、幸運だったかも知れませんが、果たして、幸福であったと云えるでしょうか。
勿論、これは戦争を肯定しているのではありません。
戦争は悲惨なものです。
その嘆き、苦しみ、悲しみは、拭っても拭いきれないものです。
しかし、我等が過去の歴史を振り返る時、煩悩を内に秘め、欲望と闘争心をその本能として有する動物としての人間は、戦争を根絶する事は不可能だと思います。
たとえ過去の歴史がそうであっても、我等は未来に向かって戦争を根絶すれば良いじゃないか、現に日本はこの60年間、戦争を起こさずに来たでは無いかと、云う人がいますが、果たしてそうでしょうか。日本は特殊な状況下に有りました。
憲法で戦争放棄を明文化させられましたし、(だがそれもここに来て、揺らぎだしてきています。)また、日本人の特性によるものが有ったと思います。
明文化については、終戦直後、坂口安吾がこう云う事を言っています。
「江戸時代、武士道が何故確立したか、不義密通が何故 打ち首と定められたか。それは、その様に明文化しなければ、人間は有らぬ行動を執ってしまうものだ。と云う事を為政者が知っていたと云う事に他ならない。」と。
日本人の特性とは、ファジーな考え方が挙げられます。
昔、イザヤ・ベンダサンが(日本人とユダヤ人)で、曖昧な日本人が羨ましいと看破した如く、何事にも例え国家の存亡に係わることでも、執着心と敵愾心を放擲し得る人種だという事を。
ついでに云うと、江戸時代の仇討ち制度程、武士にとって迷惑千番な定めは無かったと云われています。仇討ち令が下れば、草の根を分けても捜し出さねばならぬし、例え見つけ出しても、返り討ちに遭わぬとも限らぬ。例え討ち果たしても、今度は相手の身内から狙われる事になります。もし探し出せなければ、一生涯、流浪の身となるのです。
だから当時の武士は、武士道に辟易していました。
嫌々ながら明文化に従っていたのです。
日本人の特性とはそういうものでした、実に曖昧で、執着心が薄い国民だったのです。
戦後60年、平和国家・日本と云いますが、安穏の日々を刻んで来たといえるでしょうか。
戦争は地球規模で起こっています。テロも世界各地に飛び火しています。戦争を止めさせる事が出来ると云う人は、今、現に起こっている戦争を即、止めさせて見せて下さい。
そう云う人こそ、我が身を捨てて命を賭して、即、行動して下さい。
人間が人間以上でないと云う事が解る筈です。
只、敗戦後60年、それは長い年月です。明治維新より30年足らずで、日清戦争。
そこから10年足らずで、日露戦争。そこから40年を経ずして、太平洋戦争が勃発しました。
今年は、日露終戦100周年でもあります。
もう終戦60年は、歴史になってしまっております。
その間、日本人は日本人でなくなったと云う感が致します。
アメリカナイズされた生活様式と、アイデンティティを見失ったこの居住民は、はてさて、何処へ行き着くのでしょう。
もっとポジィティブに考えたいのは、やまやですが、右にも左にも、ものの云えない国に辟易しています。
posted by 津々浦々 at 15:58| Comment(3) | TrackBack(1) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。