2005年08月03日

敗戦六十周年に想う

無責任国家
今年もまた、8月15日がやって来ます。
あの日から60年、還暦を経た事になります。
現在生息している日本国民は、殆どが、戦争のせの字も知りません。そう云う時代に生を享けた我々は、幸運だったかも知れませんが、果たして、幸福であったと云えるでしょうか。
勿論、これは戦争を肯定しているのではありません。
戦争は悲惨なものです。
その嘆き、苦しみ、悲しみは、拭っても拭いきれないものです。
しかし、我等が過去の歴史を振り返る時、煩悩を内に秘め、欲望と闘争心をその本能として有する動物としての人間は、戦争を根絶する事は不可能だと思います。
たとえ過去の歴史がそうであっても、我等は未来に向かって戦争を根絶すれば良いじゃないか、現に日本はこの60年間、戦争を起こさずに来たでは無いかと、云う人がいますが、果たしてそうでしょうか。日本は特殊な状況下に有りました。
憲法で戦争放棄を明文化させられましたし、(だがそれもここに来て、揺らぎだしてきています。)また、日本人の特性によるものが有ったと思います。
明文化については、終戦直後、坂口安吾がこう云う事を言っています。
「江戸時代、武士道が何故確立したか、不義密通が何故 打ち首と定められたか。それは、その様に明文化しなければ、人間は有らぬ行動を執ってしまうものだ。と云う事を為政者が知っていたと云う事に他ならない。」と。
日本人の特性とは、ファジーな考え方が挙げられます。
昔、イザヤ・ベンダサンが(日本人とユダヤ人)で、曖昧な日本人が羨ましいと看破した如く、何事にも例え国家の存亡に係わることでも、執着心と敵愾心を放擲し得る人種だという事を。
ついでに云うと、江戸時代の仇討ち制度程、武士にとって迷惑千番な定めは無かったと云われています。仇討ち令が下れば、草の根を分けても捜し出さねばならぬし、例え見つけ出しても、返り討ちに遭わぬとも限らぬ。例え討ち果たしても、今度は相手の身内から狙われる事になります。もし探し出せなければ、一生涯、流浪の身となるのです。
だから当時の武士は、武士道に辟易していました。
嫌々ながら明文化に従っていたのです。
日本人の特性とはそういうものでした、実に曖昧で、執着心が薄い国民だったのです。
戦後60年、平和国家・日本と云いますが、安穏の日々を刻んで来たといえるでしょうか。
戦争は地球規模で起こっています。テロも世界各地に飛び火しています。戦争を止めさせる事が出来ると云う人は、今、現に起こっている戦争を即、止めさせて見せて下さい。
そう云う人こそ、我が身を捨てて命を賭して、即、行動して下さい。
人間が人間以上でないと云う事が解る筈です。
只、敗戦後60年、それは長い年月です。明治維新より30年足らずで、日清戦争。
そこから10年足らずで、日露戦争。そこから40年を経ずして、太平洋戦争が勃発しました。
今年は、日露終戦100周年でもあります。
もう終戦60年は、歴史になってしまっております。
その間、日本人は日本人でなくなったと云う感が致します。
アメリカナイズされた生活様式と、アイデンティティを見失ったこの居住民は、はてさて、何処へ行き着くのでしょう。
もっとポジィティブに考えたいのは、やまやですが、右にも左にも、ものの云えない国に辟易しています。
posted by 津々浦々 at 15:58| Comment(3) | TrackBack(1) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
トラックバックありがとうございました。
むずかしいですね。
私は論ずるに値する人物ではありません。
これからも見つめ続け、考え続けなくてはいけないと思います。
Posted by 山久友 at 2005年08月04日 12:17
タイトルが強烈ですね。「戦後60年」という言葉を聞き慣れていた今日この頃、「敗戦60周年」は新鮮でした。−アイデンティティを見失ったこの居住民は、はてさて、何処へ行き着くのでしょう。−見届けてみたいものです。
Posted by アオイ at 2005年08月05日 13:42
確かに日本人は、国家という単位に対しての執着心が薄いですね。自らの納税によって立っている国家、という認識をもっと持つべきだと思います。
Posted by 帆波 at 2005年08月09日 19:41
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