2006年03月01日

トリノ冬季オリンピックですか

先ずは、今回のトリノオリンピックが終了して、日本史上、最高の慶事が記録されました。
それは、女子陸上史上、初の金メダルを獲得した高橋尚子と、女子競泳自由形史上、初の金メダルを獲得した柴田亜衣と共に、今回、女子スケート史上、初の金メダルを飾った荒川静香の、初尽くしトリオが誕生した事です。
高橋尚子はQちゃんのニックネームを冠し、柴田亜衣は皇室の人気者、愛子内親王を連想させ、荒川静香は、「荒」と「静」の名前のバランスの妙があります。
このトリオの偉業は、誰をも寄せ付けない至宝です。
然るに、冬季オリンピックの宿命でしょうか?
競技人口の絶対的な少なさが相俟って、冬季では今回が三回目の出場、四回目の挑戦と、マスコミが、その競技者努力を持て囃すが、早い話、それだけ他に人がいない、つまり、国内で一度頂点に立てば、競争相手が殆ど無く、加齢はしていっても、何回もオリンピヤードの舞台に立てるという、日本の下地があるのです。
そも、オリンピックとは、若人の祭典でしょう。
たまたま、年齢の高い人が良績を残すと、中年の星とか云って、直ぐ、マスコミは持ち上げますが、そんなものは競技ではないでしょう。
肉体の最高のパフォーマンスの披瀝が競技なのです。
動物の、人間の肉体は、生理的に十代・二十代が最高の時期なのは明らかでしょう。
そんな肉体の格闘技を競うレベルで、四年に一回のオリンピックに、三回も四回も出続けられるというのは、奇妙な話です。
それは、その国における、その競技が既に競技に成っていないという事でしょう。
オリンピックに参加する他国に失礼です。
嘗てバロン・クーベルタンは、「参加する事に意義がある。」と宣託されましたが、その意味する処は、スポーツを通じて、一国でも多く交流し、世界平和を願うという事だったでしょう。
されど、一世紀以上が経過した今に至るまで、その目的は達成されていません。
その折々に、如何な国が参加したとて、世界の紛争は絶えないのです。
オリンピックは、その一助に成り得ても、それ以上ではありません。
であるならば、参加国に失礼に当たらない為、レベルの低い競技は、三人も四人も参加させず、一人に絞って、或いは、参加ゼロにすべきでしょう。
よく関係者が、世界の舞台を経験させるという趣旨の発言をしますが、オリンピックは競技の場です。
経験の場では無いのです。
中年にしろ、熟年にしろ、若人のパフォーマンスから活力を受けるのです。
同年代の活躍から勇気を貰うというのは、少し違うでしょう。
最後に、特に今回、思慮に欠け、履違えた言動で呆気に取られたのは、スノーボードのハーフパイプに出場した、成田童夢と今井メロという兄妹と、アルペンスキー回転に出場した、佐々木明です。
それは、此処に詳報しませんが、本人と皆さんが、よく解っておられる事でしょう。
(敬称略)
posted by 津々浦々 at 15:15| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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