2005年12月01日

四十九歳

人間五十年、下天のうちを較ぶれば、夢幻の如くなり
織田信長が、桶狭間に挑む時、上記の幸若舞を舞って、敢然出撃し、自身の運命を切り開いたのは有名です。
死のうは一定、この世に生を受け、滅せぬもののあるべきや
とは、非常に勇躍感に富んでいるか、悲壮感を漂わせているか、とまれ、この若者は、人生を達観していたか、自身の行く末を予感していたのでしょうか。
四十九歳で、本能寺で倒れた時「是非も無し」とは、象徴的な事ですね。
事ほど左様に、四十九歳で、生を絶たれた人物は、結構いるものです。
遡って、飛鳥時代の聖徳太子も、四十九歳の生涯だったと云われています。
彼は不思議な人物ですよね。
一説に因れば、天皇であったと云う説もありますし、極端な話、実在の人物ではない、と云う説もあります。
確かに、歴史上、太子と云う称号は、後にも先にも存在しませんよね。
推古女帝の摂政と云う事になっていおりますが、確たる証はありません。
しかし、彼の行動範囲は結構広く、四国は松山の道後温泉から、中国地方、兵庫県にも、その事跡は点在しております。
次いで、戦国時代の猛将・上杉謙信がおります。
彼は、春日山城で四十九年の生涯を病死しておりますが、下克上の世に突入しても、あくまで、伝統故事を尊び、決して、天皇家・将軍家・主家を蔑ろにする事なく、その生涯を捧げました。
善悪は別にして、一途な道とは云えますね。
彼、もし、もっと生き永らえておれば、歴史は、或いは変わっていたでしょうか。
更には、戦国も末期、徳川家康が天下の覇を握ろうとする時、心胆寒からしめた、真田幸村も四十九歳で倒れたのです。
大坂夏の陣、自身の意が入れられずとも、逍遥として、敢然、大坂城から撃って出て、家康の本陣に、あわやの処まで迫ったのは、これまた、死を覚悟した事だったのでしょうか。
時代は下って、あまり著名ではありませんが、幕末近く、勝海舟の父・小吉も四十九歳だったのです。
貧乏旗本、御家人の家に生まれた彼は、放蕩三昧の若年期を過ごし、波乱万丈の生涯を送った人物であります。
彼がいたればこそ、その反面教師として、海舟が生まれたと云っても過言ではありません。
晩年、(夢酔独言)と云う鬼気迫る文章を家人に残したのは、ご愛嬌です。
明治に入って、文明開化が進む中、一躍、超流行作家になったのが、夏目漱石です。
彼もまた、胃が弱いと言われながら、四十九年の生涯を閉じました。
洒脱な文章に似合わず、ナイーブな彼は、この人生を、どう把握していたのでしょうか。
理不尽な、もっと人生の火を燃やしたい、と感じていたでしょうか。
戦後、超売れっ子作家として時流に乗り、その名を欲しいままにした坂口安吾とて、五十の坂は越えられず、四十九歳でこの世を去ったのです。
無論、彼も、こんなに早く死ぬとは思っていなかったでしょうが、達観はしていたと思われます。
交流のあった太宰治や織田作之助やらが、三十代の若さで命を絶っているからです。
事ほど左様に、人生は五十年、その一歩手前の四十九歳は、節目になっているのですね。



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posted by 津々浦々 at 15:53| Comment(6) | TrackBack(2) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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